九月の第3週に詠んだ短歌をワードで入力

 そろそろ九月が終わりに近づく。夏のような秋のような九月だった。先週はお彼岸を迎えたが、多摩川の河原にはこの時季にあわせて彼岸花が咲いていた。気候が昔と変わったとはいっても、いまのところ彼岸花はお彼岸の時季を間違うことがない。

 これから金木犀の季節が来るが、この花は気候変動の影響を受けやすいように思う。

 午前中早い時間に友だちから電話をもらい、手短に用件を話した。

 先週のお彼岸中に近くの和菓子店でお萩を買わなかったことを思い出し、店に行って二つほど買った。その足で同じく近くの郵便局に足を運ぶが、休業中だった。局員に体調を崩した人がいて念のための休業だと張り紙があった。コロナに感染したとは書いていないが、ただ体調を崩しただけで郵便局を閉鎖することはないので、コロナにちがいない。ここがコロナで休業するのは2回目である。最初はコロナ感染のためとはっきり理由を記してあった。

 ゆうちょ銀行でお金を下ろしたかったがしかたがない。あとで別の銀行に行こう。

 この数か月、いままでより詠む短歌の数が多くなった。家にいるときはノートか、古いカレンダーのメモ用紙などに短歌を書き、外ではラインのキープメモに記している。完成した短歌は少なく、あとで手を入れなければいけないものが多い。

 今日は走り書きの短歌を1首1首に手を入れながら、パソコンのワードで入力した。手を入れるのがかなり時間をとるし、集中力も必要になる。読みっぱなしの短歌をいちおうこのレベルなら、というところまで推敲するのが大変で遅れがちである。

 今日は24日(土曜)に詠んだ分を直している途中に疲れを感じた。昼食後のことで、しばらく入力していたが眠くなり広縁で昼寝をして、そのままになっている。

 夕方、蒲田の歌会の仲間にラインを送ると返事がすぐあり、仕事帰りで疲れ、遅い昼食を食べているところとのこと。お疲れさま、ゆっくり食事をしてねと返した。この中から夜またラインがあり、少しやりとりした。

 

雲のない夕空のした青葱や里芋畑暮れゆくを見る