七月朔日、友だちが家に来た

 今日から七月。暑い暑い七月のはじまりだ。

 先々週位に日時を決めていた友だちがお昼前に家に来てくれた。

 この暑い中、自転車に乗って、しかも二子玉川から来たと言う。

 冷たいアイスティーを大きめのグラスに二杯も飲んだ。かなり喉が渇いていたらしい。

 この友だちとは知り合って5年ほど。この家に来るようになってから2年くらい。妙なことだが、今日はじめて相手の顔を真正面からしっかりと見た感じがした。この家で、時には外でよく会っているのだが、実は顔をよく見ていなかったのだろうか。

 顔を見たとき相手もわたしのほうを見ていたが、わたしの顔を見ていたかどうかはわからない。目が一瞬、合ったがこれもはじめてのこと。

 話もいつもより盛り上がったと思ったがこれはどうだかわからない。冷静になればそんなことはないような。わたしだけがそう思っている可能性も。

 ただ、おもしろかったのはある人の言動についてわたしが最近抱えている悩みがあって、友だちにそのある人の立場だったらどうするかと聞いたら、他の友だちに聞いた時とは全く違う視点の答えだったことだ。なるほど、そういう対処の仕方もあるのかと思った。やはり、人はそれぞれ違う感じ方、考え方を持っている。

 1時間半ほど話して、炎天下の中、友だちはまた自転車で帰った。

 午後は昼食後、パソコンに向かい、「永井陽子への旅」のブログを書いた。途中まで書いて保存にした。

 夕方になり、バスに乗っていつも行く駅前のカフェへ。アイス・カフェモカを注文した。永井陽子さんのエッセイ集『モモタロウは泣かない』を読んだ。永井さんはエッセイで書いている。短歌における女歌という不可思議なことばについて。「歌の世界から『女歌』の呼称が消え去る日を、私は待っている」と書いているが、2022年となっても女歌という呼称は消えていないようだ。わたしもこのことばになじめない。嫌いである。