朝から雨が降るが気温は上がった。
国会図書館の入館を予約してあるので、10時半ごろ家を出た。傘をさすかささないか迷うくらいの小雨が降っている。折り畳み傘を持って行った。
多摩川の土手でバスを持っている間にやや強く降り始め、傘をさした。
二子玉川ライズの地下でかんたんな昼食を買い、図書館がある永田町駅に向かった。
土曜日の早めの時間の国会図書館はわりあいと混雑していた。パソコンのある席に座るために、あちこち空席を探さなければいけなかった。この図書館に通うようになってから初めてのことである。いままでは空席はどこにでもあったから。
席を確保し、読みたい本を3冊閲覧請求した。
以前、ここでコピーをとった「核」という同人誌に掲載されている、永田陽子を論じた小文を読んだ。歌人、永田陽子を他の歌人、河野裕子や馬場あき子と比較して書いている。永田陽子が短歌の表現に影響を受けた人として、詩人、山本太郎をあげ、その作品「リリカルな愛の唄」の世界を短歌で詠いたいと語ったことに触れていた。
パソコンで山本太郎の作品を検索するとたくさん出て来た。ただの山本太郎で検索すると、政治家の山本太郎も出て来てこちらもたくさんの著作がある。「詩」と「山本太郎」で検索すると、詩人の作品だけが選り分けられた。
いくつかの本のなかにデータで読める詩集があり、その中の現代詩文庫『山本太郎詩集』に、詩編「リリカルな愛の唄」が掲載されていた。おとうとに呼びかける詩だ。川に流れていく母のたましいを見ながら、母と自分との確執が歌われる。切なくて美しい詩だ。
歌人、永井陽子からはじまり、詩人、山本太郎に興味を抱いた。いくつかの著作に目を通した。本の閲覧は三冊までなので請求できず、データで読めるものだけ拾い読みをした。筑摩書房の『詩の本』第2巻( 1詩をつくる)に50数ページにわたって、山本自身の詩人としての遍歴が書かれ、詩人になるための心構えが書かれている。これがおもしろかった。わたしが好きな詩人のことが、山本の視点で書かれていた。
閲覧請求した本のなかに、歌人、永田和宏の著作『あの胸が岬のように遠かった』があった。亡き妻、河野裕子との出会いから結婚までのいきさつを、死後その存在が明らかになった河野の日記を読み解きながら綴ったものだ。どちらも好きな歌人なので興味深く読めると思ったが、いまは歌人、永井陽子のほうに気持ちが傾いているので、目を通してもあまり興味が持てなかった。いつか読める時が来たら読めばいい。
11時少し過ぎから4時少し過ぎまで図書館にいた。
帰りはまた二子玉川に電車で移動し、昼食を買った地下にあるスーパーマーケットとパン屋で買い物をしてから、、いつも行くアンテコ・カフェに入った。ブレンド・コーヒーとチョコバーを注文した。最初はカウンターしか空いていたなかったが、途中テーブル席が空いたので移動した。この店でたくさん短歌を詠んだ。
ぶつかってはじめて互いの進む道違うと知ってその後もふたり
ベンチに座る女のブロンズ像ときに生身の人横にいて
図書館に亡きひと遠きひとの本読みし後なる喧騒の街
席を立つ客入れ替わりの客すぐ来て土曜の店は流れの早き川