ネットで調べもの、夕方はいつものカフェへ

 秋の陽ざしがいっぱい降り注ぐ、おだやかな土曜日。こころも同じくらいおだやかに過ごすことができた。わけもなく泣くこともなく。

 昨日、久しぶりに国会図書館にでかけ、時間が足りなくて調べものはじゅうぶんにできなかったが収穫はそれなりにあった。

 短歌研究社の短歌誌「短歌研究」11月号を図書館で読んだが、中堅の歌人4~5人による対談があり、その中で東直子さんが歌人、永井陽子さんについて語っているところがあった。意味はないけれど愛誦性の高い短歌が好きと言うような発言があり、永井陽子さんともうひとり小池純代さんという歌人を挙げていた。

 小池さんと言う歌人を知らなかったのでさっそくインターネットで調べ、代表作をいくつか知ることができた。もっとほかの短歌も読みたくなり、都内の図書館に調べると一か所、小池さんの歌集を三冊所蔵している図書館があった。いつも利用している図書館を通して予約を入れてもらい、うまくいけば年内に借りることができそうだ。

 小池純代さんの短歌はこういうものがいくつかのサイトで紹介されていた。

 

さやうなら煙のやうに日のやうに眠りに落ちやうに消えるよ  

 

紙巻煙草(シガレエテ)のけむりのつぎにわが好むしづかでくらい香の紅茶  

 

とけながらなにを待ちをらむ雪だるま人が人待つところに立ちて

 

手のなかに鳩をつつみてはなちやるたのしさ春夜投函にゆく

 

  このことばのリズム感、なにか不思議な感覚に包まれる。4首目の投函する手紙を手のなかの鳩ととらえたところが好きだ。雪だるまが何を待っているのかという問いもおもしろくてせつない。

 夕方近く、バスに乗っていつも行くカフェにわりと久しぶりに言った。行くときは1週間に3~4回は通っていたのですいぶん間があいた。いろいろ出かけることが多かったので行けなかった。このカフェは日常からのわたしの手軽な逃げ場である。逃げ場がなくても過ごせたのはよかったともいえる。

 もっといろいろな逃げ場を作りたい希望がある。手軽で身近な逃げ場、ちょっと遠い逃げ場、贅沢な逃げ場、楽しい逃げ場(?)・・・・いくつものバリエーションがあれば気持ちを切り替えたいとき、傷ついたとき、辛いとき、文字通り逃げたいとき、隠れたいとき、ひと息つきたいときなどなど、気持ちや状況に合わせて使いこなせる。