友だちが渋滞にまきこまれ来れなくなった

 今日もおだやかな晴天が続く。

 夕方、友だちが家に来る予定なので、居間と続きの仏間、広縁、廊下に掃除機をかけた。

 きれいになった居間で掘り炬燵に入り、パソコンを開け、ワードで新しく作った短歌をいくつか入力。短歌に詠みたい風景、出来事、思いなどいろいろあるが腰を落ち着けて短歌が詠めない。

 先週買ったイヤリングが一回身に着けただけで細い鎖が切れてしまい、別のものに交換か、返金してもらうことになった。お昼前にバスでイヤリングを買った二子玉川に行った。

 すぐ店に行き、交換するならどれがいいかあれこれ試すがこれだ、というものがない。店員さんに事情を話し、手伝ってもらい、これでいいかというものを見つけた。

壊れたイヤングより少し安価なので、返金してもらった。

 昼食のお惣菜とパンを買って、またバスに乗って帰った。

 遅めの昼食を食べた後、洗濯物を取り込み、シーツを新しいものに交換するなどした。ひと仕事終えのんびりしているとラインが・・・・・今日来る予定の友だちからで前橋に仕事で行っていたが渋滞がひどく、こちらに帰るのがかなり遅くなる、別の日に変えてくれないかとのことだ。

 すぐ返事をして、月曜日に変更した。駐車場が今日は空いているのにタイミングが合わなくて残念みたいなことも加えた。いつもは3台ある駐車場に車が停まっているのが、今日は空いているので車で来るならベストの日なのに、と言う気持ちだった。

 友だちが来ないなら、とまたでかけることにした。こんどは別のバスに乗って、いつも行く駅前のカフェへ。豆乳オーレを飲みながら、角川の『現代短歌集成 1生活詠』を読んだ。

 「橋」を読み込んだ歌の中に今の心境に訴える短歌があった。

 

どの橋を渡れば至るにやあらむ生きるといふは限りなく橋 岡井隆

 

 この短歌をどのように読むかは人それぞれだろう。ひとつの橋の向こう側をめざして渡ろうとするがどの橋を渡ればいいのか。渡る橋を選び、その橋を渡れば渡り切るまでほんとうにめざすものがあるのかどうかわからず、渡り切ってもまた次の橋がある。

 わたしに重ねて読めば、ふたつの橋をいちおう渡った感覚があるが次の橋がもう見えていて、その橋を渡るかどうか。その橋が本当に渡っていい橋なのかどうか。そんな迷いがある。ひとつの橋はもう渡り始めている。もうひとつの橋はまだ橋の手前に迷っている。こんなところだろうか。ふたつの橋は,ふたりの人の象徴で、付き合いの変化を渡る橋にたとえている。