朝、昼、夕を犬たちとともに

 秋の雲が青空にひろがり、きれいな空に恵まれた。風がなくおだやかな日曜だ。

 朝5時過ぎに目覚め、NHK短歌と俳句を見て、テレビ体操もやった。短歌はあまり真面目に見なかった、ただテレビを流しているだけだった。

 朝食前に駐車場の落ち葉を掃き集めた。ゴミ出しの金曜日に庭の掃除をしなかったのでずっと気になっていたから。フランパンでソーセージをあたためながら箒を使ったので、ざっとした掃除だ。

 朝食後は部屋の掃除をした。5月から10月半ば過ぎまで居間で使っていた和風の卓は隣りの仏間に移した。居間に掘り炬燵を出したからだ。卓を置いた仏間(8畳)をもっときれいにしようと、畳の上に置いてあった水彩画の道具一式をしまった。扇風機もほこりをとって納戸におさめた。大きめの卓に客用座布団を配して、風格のある和室に少し近づいた。

 居間、仏間、自室、廊下に広縁、台所などなど掃除をかけて疲れた。

 掃除を終え、あたたかいお茶を入れて一休み。仏壇の母にも好きなお茶を持っていった。生前の母とわたしは秋から冬、春のはじめにかけてよく居間でお茶を飲んだものだ。あのときはあまり上等でない茶葉を使っていた。今思うとときには上質のおいしい煎茶を母と楽しみたかった。母は仏さまになってから美味しいお茶をこの家で味わっている。

 自室を掃除をするとき、床に台を置いて安置している二匹の犬の遺骨を広縁に持ってきた。木洩れ日のなかに二つの遺骨を並べた。

 掃除を終えてからも終日(4時過ぎまで)、二つの骨壺は広縁に並んでいた。

 居間の炬燵で午前中は10月末までに送る短歌10首を推敲したり、新らしい短歌を作ったり、『永井陽子全歌集』を読んだりした。

 永井陽子さんのこの歌集は読めば読むほど、わたしに語りかけるものが多い。わたしもいくつかの目的を持って読むことが多いので、そのたびに発見がある。

 昼食後も歌集を読んでいたがしばらくして眠くなった。炬燵をつけたまま座布団を枕にして横になるといつのまにか眠った。何か夢を見ていたが目覚めると同時に忘れた。

前世の記憶をなくしたみたいに。

 陽が翳ってきた広縁に同じように犬たちが並んでいた。動かない犬たちに胸がきゅとした。

 だんだん暗くなる庭を見ている遺骨たちをいつもの自室に戻して、日曜日の三分の二くらいが終わったと思った。

 あと三分の一は短歌に勤しむつもり。夕食を食べた後、短い散歩をしてもいい。

 

弟の不在の部屋の雨戸をあけ朝の光をたつぷり入れる

 

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お昼過ぎの空、まわりの庭木にも晩秋の気配がただよう

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軽鴨が三羽いるのだが影になっていてよく見えない