きれいに掃除をした部屋で小説を読む

 今日もきれいな青空が広がり、気持ちのいい秋の一日となった。

 午前中は窓を開けて、3つある部屋や広縁、廊下などに掃除機をかけた。風が部屋を吹き抜けるようにした。

 同時並行して洗濯機をかけた。

 わたしの部屋の掃除をするときは、柴犬レオと老犬ももこの遺骨を広縁に持っていった。いつも同じところに置いてあるので、時には違う環境もいいかなと思った。遺骨は生きているわけではないので、どこに置かれようか関係ないのは百も承知だが、わたしは生前のレオやももこを重ね合わせている。だから、秋の陽がさしこむが広縁に置いてみたくなったのである。

 二つ並んだ遺骨はわたしの目には二匹の犬が気持ちよさそうにくつろいでいる姿と変わりない。

 掃除をして空気もきれいになった部屋で、図書館から借りっぱなしになっている本を読んだ。たくさん読む本があり過ぎて読むのが間に合わない。

 今日は開高隆さんの作品がおさめらている『新潮現代文学54』のなかの『夏の闇』を読んだ。まだ4分の1ほどしか読んでいない。最近では稲垣足穂の短編を読んだくらいで、ひさしぶりに本格的な小説を読んで、小説っておもしろいと思った。

 短歌の本では現在借りているものだけでなく新しく読みたい歌人を見つけたので、これも楽しみだ。

 今夜は満月の一日前だがじゅうぶんにきれいだ。ほぼ満月に近いけれど、やや細めで明日はぐっとふくらみを増し、やはりこれが中秋の名月だと思わせてくれるだろう。だが天気が心配である。