メダカの水瓶の掃除、ふたたび

 朝から曇りで風はほとんどないがとても涼しい。

 居間には掃き出し窓を開けて空気を入れていたが、途中涼しすぎて閉めた。

 昨日から再開している永田陽子さんの「詩線」の資料をノートにとりながら読んだ。感じたことやもう少し調べたいこと、何が書けるかなどのアイデアをノートに書いた。

 国会図書館で永田陽子さんに関する本を読んでいるとき、何かの本に(多分、『同時代としての女性短歌』河出書房新社だと思う)相聞歌をあからさまに詠むのは恥ずかしいので、わからないように読む、というような発言があった。

 わからないように詠んでいる相聞歌とは具体的にどんな短歌なのか。同人誌「詩線」に掲載の短歌のなかで探してみようと思った。

 後、「詩線」1号に掲載の永田陽子さんの短歌が気になってしようがないので、もう少し深堀してみたい。ここに掲載の短歌は歌集に収録されているものが多いが、7首の連作のうち5首が歌集にはないものがあって、その歌が気になる。若い頃の短歌によく出てくるモチーフの一つが詠われているような感触がある。

 実は夕方から国会図書館に足を運ぶつもりだったが、友人にある頼みごとをしていて、その電話を夕方くれるというので今日は行かないことにした。

 空いた時間を庭に出て、もうひとつのメダカの水瓶の掃除にあてた。

 昨日ひとつ掃除した後、バケツに水を満たして一晩置いた。そのバケツに水瓶のメダカを移して、水を捨てて中をきれいにした。こちらの水瓶には子メダカがたくさんいた。大きめの子メダカ、とても小さい子メダカ、大小さまざまである。小さなメダカがいるのに気付かず、最後の水を地面に流したら、はねるものがいてメダカだった。指でなんとかつまんでバケツに入れた。

    雨がぽつぽつ降ってきた。水瓶の掃除のあとは家に入って、資料を読む作業を続けた。