熊日潮さゐ短歌大会に参加の詠草が届いた

 昨日よりは陽ざしが少ないが晴れ間がひろがる。特に午前中は陽ざしがたっぷり。

 駐車場の掃除をしたり、庭道の小草を抜いたり、ぼちぼちと庭仕事をした。

 通りがかりの近所の奥さんに話しかけられた。老木の梅の木を仰ぎ、たわわな青梅が目に入り、ずいぶんたくさん生っているわねと言った。まだ収穫ではないの?と問われ、自信がないが6月初めころだと思うと答えた。

 よく見ると木の下のほうはまだ青梅だが、上のほうはうっすら赤みが買っているように見える。季節が進むのは早い。うかうかすると青梅ではなくなりそうだ。

 午前中、郵便ポストをのぞくといくつか郵便物が入っていて、そのひとつが熊本市(多分そうだと思う)で開かれる熊日潮さゐ短歌大会の詠草だった。

 58首(わたしの1首もふくまれる)の短歌がプリントされた3枚の用紙と、選歌した5首を書いて送る葉書が送られてきた。

 さっそく読む、数回読んで5首がだいたい決まった。いつも選歌するたびにこれでいいのだろうかという疑問がわく。いい歌というより好きな歌を選んでいる。同じような題材を読んでいる歌の場合はよりよいほうを選ぶが、よりよいとは詠われていることばがこちらのこころに近づいてくるほうだ。具体的なひとことが効いているとその歌を選ぶことが多い。

 こうして一応選ぶ基準はあるのだがそれでも迷いが生まれる。歌を選ぶって難しい。

 昨日、友だちにワクチン接種のことと、亡くなられた田村正和さんについてメールを送ったがその返事が今日電話できた。

 最近、メールを入力すると目が疲れるとのこと。これはわたしもわかる。長いメールは疲れるようになった。ラインの短いやりとりのほうが楽だが、書きにくいことは電話がいい。ちょっとしたことを伝えたり、ちょっとしたことを聞いたりはいいが、話したほうがかんたんということは話したほうがいい。

 1時間近く電話で楽しく話した。ワクチンの接種は友だちの住んでいる市では6月1日の広報で予約開始のスケジュールを知らせるとのこと。予約の電話は6月に入ってからになるようだ。接種会場は友だちの家の近くにあり。歩いて行けるのでラクとのこと。

 これを聞いてうらやましくなった。わたしが住む町は接種会場がいずれも遠くて、行ったことがないところ。近所のいつも見慣れているところが会場だったらどんなに気が楽だろうか。

 なんでこんなに会場設定がよくないのだろう。この会場設定で、自分の家の近くでよかったという人もいるだろうが、遠くの人のことも考えてほしい。もっときめ細かな会場を設定してほしい。