九月最初の土曜日、友だちと長電話をする

 蒸し暑いが午前中はエアコンを使わず過ごした。

 午前中は近くの肉屋さんで買い物をし、その後、車で西友(小型のホームセンター)に行った。

 いつもは混み合う土曜日にホームセンターに行くことはないが、来週は予定がいくつかあったので行っておこうという気持ちになった。予想通り、駐車場が混み合い、店内も平日に比べて格段に人が多かった。

 買いたかったチューリップやヒヤシンスなどの秋植え球根はまだ店頭になく、種を蒔くための使う培養土と、浜菊と風車菊の鉢植えを買った。

 少し足を伸ばして短めのドライブをして帰ろうと思ったが、街に車が多いのでやめて家に帰った。

 西友で買った浜菊をすぐ花壇に植え、風車菊は植木鉢に植えた。

 夕方近くになり(3時半ごろか)、友だちに電話をした。忙しければ明日かけ直してもいいと思ったが友だちが電話に出て電話代を気づかってか、向こうからかけ直すと言った。

 まだ明るいうちに電話をはじめ、外が暗くなるまで話した。国立西洋美術館で開かれているロンドン・ナショナル・ギャラリー展について、特にゴッホのひまわりについて、夏になると家の中に出没するいろいろな虫の話、特に大きな蜘蛛の話、友だちの家の近くの畑に蜜蜂の巣箱があり、蜜蜂による糞害に悩まされていることなど・・・・・・・。

 6時半近くになり、そろそろ電話を終えようかと思い始めた時、友だちが話始めたことは予想もしていなかったことだった。

 5年前から今日に至るまで友だちが話さなかったことの重みに激しいショックを受けた。

 だがこのことは自分のこころのなかで消化しなけれないけないことだろう。

 友だちも何も話さずにひとりで向き合う苦しさを乗り越えてきたのだろうか。

 5年を経てこころのゆとりができたと友だちは言うが・・・・・・・。

 会えるようになったら会おうねと電話を切った。

 

 友だちが元気でいることにほっとして、これからもずっと元気でいてほしいとこころから願っている。

 

 友だちと最近、長電話をする機会が何回かあったが、どこかでうまくつかみきれないところがあった。楽しい話を重ねてきたのだが、友だちの話の理解できないところを自分に何とか納得させようとするところがあった。そうだったのか。妙な違和感があったのは。