朝から雨が降り、気温もそう上がらなかった。
午前中、長靴を履いて庭に出た。雨に打たれては困る腐葉土を入れたゴミ袋5つを雨があまり当らない場所に移した。
目高の餌やりもした後、急に歩きたくなった。
傘をさして長靴のまま散歩へ。傘に雨が当る音を聞きながら歩いた。こんな天気でも何人か歩いている人がいる。マスクはせずに出たが、密ではないので気にしない。
いつもの対岸の高層ビルが眺望できる崖の中腹まで行った。背後はさらに高台になっている。階段上に高くなっているところだ。地形を言葉で表現するのは難しい。
雨の中対岸のビルは肩を寄せ合っているように見えた。
雨の中の散歩はなぜか歌心を刺激され、いくつかの短歌を歩きながら詠んだ。メモ用紙など持っていないので忘れないように、1首の短歌につき出だしの初句とキーワードみたいなものを記憶するようにした。
おかげさまでほとんどの歌を家に帰ってノートに書き留めることができた。短歌の出来の良し悪しは二の次。数日、短歌を詠むことができなかったので詠めただけでもうれしい。
台所で昼食の準備をしていると、誰かがわたしを呼んでいる声が……。一度目は気のせいと思ったが二度目が聞こえ、台所から出ると広縁の網戸を開けて女の人が・・・・・。
近所の奥さんで、手にサクランボを入れたカップを持っていた。頂き物で美味しいから少しだけど、と手渡してくれた。ありがとう。庭のすももが食べ頃なので雨がやんだら採って持って行くわ。
昼食後、さくらんぼの絵を描きはじめた。水彩画を掲載しているブログで参考にさせてもらっているのがあり、そこにもさくらんぼの素敵な絵が何点か載っていた。さくらんぼは赤いというのが一般的な見方だか、この方は茶色を使って立体感と陰影を出している。
さくらんぼを鉛筆で下描きし、まず茶色を少量混ぜたレモンイエローを薄く塗り、さらにマゼンタとバーミリオンは混ぜたものを水を多めにして塗った。
ここでひと息入れたくなり、こんどはマスクをし、ペットボトルの水を持って本格的な散歩へ。雨が止んでいたので傘はなし。
行けるところまで行こうみたいな散歩。川を下流へと歩いた。多摩川台公園の下に着き、坂と階段を上り公園内へ。古墳の周りの遊歩道をさらに下流方向へ歩いた。公園の端に紫陽花苑がある。そこをめざした。
昨年は紫陽花苑の絵を描いたが今年は絵を描こうとも思わなかった。だが紫陽花の花を見たかった。やや花の盛りが過ぎた紫陽花だがまだきれいな色を保っている。一つの花にいくつもの色を変化させた花があり、夕空のようにきれいだ。夕焼けがだんだん薄れて行くときのあの微妙で豊かな色合いがある。
この色を見られただけで来た価値がある。
この紫陽花苑だけはやや密な状態だが、マスクをしているので気にしない。
帰りは古墳のまわりの遊歩道でも陽のあたる方を歩いた。古墳のなかに山百合のつぼみをたくさん見ることができた。咲くのは7月のはじめころだろうか。
柴犬レオがわが家にいた最後の夏。2012年のこと、夏の早朝にまだ眠っているレオを部屋に残し、この公園まで何回か歩いた。ある日のこと、古墳のまわりの遊歩道を歩いていると満開の山百合が迎えてくれた。早朝のすがすがしさが百合の白さに凝縮したような、最高の出会いだった。朝日はちょうど山百合に注いでいる。園内に置かれた聖母像が逆光となり遠く公園の外に立つ教会と重なるかのように眺められた。
また山百合を見に来よう。山百合を見て帰れば家にレオが待っているかもしれない。