昨日は朝から晴れて秋の陽射しが降りそそぎ気持ちのいい天気だった。
午前中は家にいて、風を家の中に入れたり、敷布団などを干したり、晴天の恩恵をおもうぞんぶん受けた。
午後から東急線・武蔵小杉駅前のビル内で開かれる短歌会に行った。玉堤通りのバス停よりバスに乗り、多摩川バス停を経由して、川を越え武蔵小杉までバスで行った。いままでは最寄駅から電車で行くことがほとんどだったので、バスで武蔵小杉まで行くのははじめてある。思ったより時間がかからなく(15分で着いた)、之ならもっと早く利用すればよかったと思った。
歌会は先生が出席せずに開かれた。先生が歌会に来なくなってから四か月半ほどがたった。
歌会の仲間から先生がまた入院されたと話しがあり、ショックを受けた。酸素ボンベを持ちながら、五百メートル先のスーパーマーケットまで歩くリハビリをなさっていると聞いていたので、リハビリの無理があったのかとも思った。
歌会はいつものように司会者の指名に従い、参加者の短歌を講評したり、感想を述べながら進行した。最後に1首1首に対する互選数が伝えられ、先生の添削や寸評を記したものが各自に配られた。
わたしが詠んだ三首も先生の添削が加えられている。
ひと月だけは母は使ひてあつらへしレンズの厚き眼鏡を残しき (わたしのもと歌)
ひと月だけ母は使ひて遺したりあつらへしレンズの厚き眼鏡を (添削したもの)
こうでもいいかも。
あつらへしレンズの厚き眼鏡をぞひと月使ひ母は遺しつ
もう1首は
玄関に水来て靴が浮かべるをここで止まれとむなしく眺む (もと歌)
靴の浮く玄関を見て水の嵩ここで止まれと念じつつ見つ (添削)
「水の嵩ここで止まれと念じつつ」という部分はとてもよく直してくださったと思うが,「見て」と「見つ」同じ動詞が重なっている。こうしてはどうだろうか。
靴の浮く玄関を見て水の嵩ここで止まれと念じつつゐつ