町会より見舞金をもらう

朝は空を雲がおおっていたが次第に晴れた。引き続き湿度が低くからっとした天気だ。

台所に置いてある整理棚の中身を整理しようと、引き出しから金属製の箱に入っている父母の時代の貯金通帳を取り出し、ひとつひとつ開いて見た。父母の名義のものはもちろん、孫の名義やわたしの名義の通帳がいくつもある。

 昭和29年と印字してある古い三井住友銀行の通帳も出てきた。わたしが4歳の頃だ。役所に勤めていた父の給料はいくらぐらいだったか見てみるが、入金の数字を見ると多分5万円だと思う。ただ、ざっと見ただけなので違う可能性も。

 通帳を見ている時、弟から電話があり、こちらに来ると言うので通帳の取捨はあとまわしにした。記念にいくつかを残しておこうと思ったのだ。

 弟は定年後の務めを来春止めて、こちらに戻ってくるようなことを言っている。空いている八畳の洋室を自分の部屋にするつもりである。そんなこともあり、ときどき数時間家に帰り、浸水の後片付けは自分のものにする部屋を中心にやった。

 弟とはいえど自分以外の人間と同じ屋根の下に暮らすのはかなり大変かもしれない。父母だけは別だが(時には軋轢もあった)。いっしょに暮らすのは犬が一番いい。人間は遠慮したい。

 今日は片付けがないので、弟は二階で飼っている犬の散歩を長めにして帰った。

 わたしも久しぶりに片付けらしい片付けはしなかった。敷布団を駐車場に干すために運び、座布団4枚は車の屋根で干した。家中の窓と戸、扉をあけて風を入れるのはいつも通り。だんだん気温が下がり、窓を開け放つ時間が遅くなる。洋室とわたしの和室は扉を閉めれば、わたしが生活する場まで風が入らないので朝6時~7時には窓や雨戸を開けるが、他の部屋は早く開けてしまうと寒くなってきた。

 弟が帰った後、近くの神社に足を運んだ。町会から今回の浸水被害を受けた人に見舞金が出るという。

 名前や住所、浸水のていど(床上、床下)を記して、さらに別の受付で罹災証明書を見せて、社務所のなかに上がった。

 前の人を待って椅子に座ったがすぐ終わり、こちらもすぐ見舞金を手渡された。

 前の人は近所の知り合いなのでいっしょに帰り途中その人の家に寄り、罹災した部屋をみせてくれた。床上48センチと記してある。保険会社の人が記したとのこと。道路沿いの出入り口には75センチと記してあった。

 一階に置いてあった桐の箪笥がふたつあり、ひとつは捨てたとのこと。中の着物も全部捨てざるをえなかった。

 ただ、この家は二階と三階に寝室などがあるので、寝起きには困らないようだ。

 

浸水を経験しない玄関が写真に写り犬も立ちをり

 

またひとつ自由になって霜月の青き空白き雲ながめたり

 

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黄色の小菊がだんだん開いてきた

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今年は柿が一個もならない、柘榴が数個なっている

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千日紅、コスモスがまだ咲いている

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紫色の花が咲くアゲラタムは蕾が出てきたが、だんだん寒くなるので咲くのかどうか心配