令和元年の夏はどんな夏だったか

 10月に入り、蒸し暑い夏のような日が続いた。

 こんなことが影響しているのか?今年の夏を振り返る気持ちになった。

 令和元年の夏はどんな夏だったか。ごくごく私的に振り返ってみよう。

 毎月2回通っていた歌会の先生が肺炎に倒れ、酸素吸入が必要な身となり、歌会に来られなくなった。7月のことである。先生はわたしたちの歌の寸評や添削によって指導してくださることになった。

 30年来の友だちとの間に不協和音が続いた夏でもあった。不協和音は夏の前に生まれ、夏の間静かに続いていた。

 朝食にキュウリのサンドイッチを好んで食べた。2枚のパンのうち、1枚にバターを塗り、もう1枚にクリームチーズを塗って、バターを塗ったほうに薄切りのキュウリを塩もみしたものをのせてはさむ。ずっと後になってなつかしく思い出せるように記しておきたい。あの時、何を食べていたのだろうと時々思うことがある。

 柴犬レオと過ごした2012年の夏、老犬ももこがこの家に来て最初の2015年の夏、わたしは何を食べていたのだろうと。もしわかったら再現して食べてみたい。あの日に帰れるような気がするから。

 何年か後、このきゅうりのサンドイッチを作って食べればこの夏の一部が返ってくるのではないだろうか。

 あぶと勘違いしたスズメバチ。今日も羽音が聞こえたが、あのスズメバチの羽音は令和元年の夏を象徴するものだ。わが家の庭でありながら、おびえつつ庭に出た。今までなかった、新しい脅威だ。これからずっと夏ごとにこの脅威があるのかどうか。気候変動と関係があるのかどうか。スズメバチが来なかった夏がなつかしいと思うようになるのかどうか。

 この夏もレオやももこの力を借りて過ごしたような気がする。これは令和元年だけのことではないが後で振り返ったときに、レオやももこは心の中でずっと生きていて、あの夏もそうだったと思えればいい。

 ほかにこの夏、特にあったこと、記しておきたいことはあるだろうか。

 7月から日々詠った歌をWordでまとめるようになった。7月、8月,9月のワードの文書がある。1か月で120首前後。短歌はあいかわらずあまりうまくならない、という無力感がある。そうは思っても飛躍的にうまくなる方法などなく、続けるしかない。続けても続けても、自分の歌がうまくなったとは思わないだろう。

 朝顔も百日草も種を蒔いて育てたが花があまりきれいに咲かなかった。だたひとつ千日紅だけがきれいに咲いた。濃い赤と薄い赤、白の3色の千日紅がこんなにたくさん咲いたのははじめて。同じ種を蒔いて育ててもこれだけ違うのが不思議だ。これまでは濃い赤色の花が多かったが、今年は薄い赤色の花が多かった。

 もっと何かありそうだが、今は思いつかない。何日か経って書き加えてもいい。

 

水底に沈む仲間のなきがらをめだかは必死に起こそうとせり

 

 15匹ほどこの春孵っためだかがいる水瓶で、2匹の子めだかが死んだ。1匹は水底に沈んでいたが仲間のめだかが2匹そのそばから離れない。そのうちの1匹は口を押し付けるようにして、亡き骸を起こそうとする。腹を出していたなきがらを起こしても動こうとしないのを見て、また口先で動かそうとする。何回も繰り返す。

 わたしは非情とも思ったが、その亡き骸を網ですくった。もう1匹のなきがらも。土に軽く埋めその上に石を置いた。

 この夏はたくさん子めだかを育てた夏でもあった。一度、父母がいた頃。同じようにたくさんの子めだかを育て、ほしい人にわけてあげたことがあった。この夏はいまのところ誰にもあげていない。

 

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ジニアに花の色と同じ蝶が止まり、蜜を吸っていた、この蝶は今が恋の季節

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