わたしの心も季節の変わり目

 10月1日。10月は古語で言えば神無月。全国津々浦々の神さまが出雲へと旅に出かけ、地元には神様がいらっしゃらない月だそうだ。

 10月と言えばすでに秋で、吹く風ももう少し令涼感があってよさそうだが残暑の続きのような天気が続く。

 秋なのに夏のような天気が続くからか、それとも天気とは関係なくわたしがいま端境期にあるからなのか。落ち着かない心持ちを自分でも持て余してしまう。

 いくつかの問題を抱えているがそれほど大きな問題ではないと自分では思っている。未来はわからないがこれは生きてきて、いつもそうだった。今になってわからなくなったわけではないし。

 寂しさ、怒り、苛立ち、哀しみ、迷い、不達成感、無力感・・・・・。自分のこころのなかを去来する思いをことばにしてみた。

 自分では大したことではないと思うことが意に反してこころを圧迫する、妙な感じもある。

 いつも本を予約している図書館から、予約した本が届いたという電話をいただいたが自分の不機嫌を相手にぶつけてしまった。電話でなく、メールで伝えてくれるようにリクエストしているのになんで電話をするのかと。

 本を予約するときいつも、どういう手段で本が届いたことを知らせるかと聞かれたり、ネットではチェックを入れるようになっているが、メールを選んでいるはずなのだ。電話をくださいと言っていないはず。

 こんな小さな事にもいらいらが募るわたしはとてもおかしい。

 疲れているのか。夏から秋へと季節が変わるように、わたしも変化の時を迎えているのかもしれない。自分がやっていることに迷いがないときもあれば、これでいいのだろうかと思うときもあるが今は迷いの季節のような気がする。

 ただすぐには変わらないし、変えられない。時間をかけて探っていくしかない。

 

 スズメバチ騒動があり、庭に出る時、神経をとがらすようになった。アブと思っていたときはいたがいくらぶんぶん羽音をさせても軽く受け流していたが、スズメバチと知ってからは警戒するようになった。

 庭仕事をしていてもスズメバチの姿を見かけたり、羽音がするとはなれたところにいてもいったんやめるようになった。

 巣が近くにあるわけでなく、別に刺激するようなことをしなけれればいいのだが腰が引けてしまうのである。

 引っかき傷を作りながら庭仕事に邁進していた頃がなつかしい。服は枝葉にまみれ、Tシャツを汗でくっしょりとさせ・・・・・。

 いまはおそるおそる庭仕事をしている。これも苛立ちの原因のひとつかな。

 

わが歌の未熟つくづく悲しめる秋の一日にスズメバチの羽音

 

わが歌を応援しくるる犬たちの目を思い出す信頼篤き

 

人からは受けたることなき信頼と情愛さえも犬らはくれき

 

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夕暮れの多摩川の河原に散歩に行った

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土手に曼珠沙華が咲いている

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