茗荷が出た

ほぼ一日中、雨が降っていた。

小雨になったとき庭に出て、庭の数か所に植えた茗荷の根元を探した。

隣家の境、隣から侵入した茗荷の根元にまるまるとした茗荷を見つけた。ここは土がやわらかく、しかも雨続きなのでたくさん出ている。

 目につくものを採り、泥だらけの茗荷を水場のホースから出る水で洗った。

 今夜の冷奴の薬味にしよう。

 昨夜はなかなか寝付くことができず、12時半ごろ布団から起き上がって,居間に行きパソコンをいじったりした。2時頃になってようやく眠りについた。

 朝は6時前に目が覚めて起きた。燃えるゴミを出す日なので、雨の中、集積所まで運んだ。途中。道路に出るスロープ状の庭道に落ちたけふちくとう(夾竹桃)の濃いピンク色の花びらを拾った。雨に濡れたのを踏みつけると乾いた時はがせなくなるから。

 睡眠不足は午前中はあまり感じなかったが昼食後しばらくして眠くなり、仮眠をとった。

 睡眠不足だとものの感じ方が悲観的なるような感じがある。

 図書館から借りてはきたもののなんとなく読む気になれず、放置していた『セクション歌人26 東直子集』を昨日の夜から読み始め、今日の昼間も読んで夕方に読み終えた。

 口語の新仮名遣いの歌が妙に新鮮で、そこに詠われている世界に親しみを感じられるものがいくつかあった。

 収録されている第一歌集「春原さんのリコーダー」の中に、文語旧仮名遣いの歌が「つゆのてふてふー旧かな文語集」として十首おさめられ、これを読んでいたら自分でもなぜかわからないのだが憂鬱になってきた。

 文語旧仮名の言葉使いを楽しんで作っているような歌が並び、ふつうに文語旧仮名の歌を詠もうとしているわたしには口語新仮名との違いがパロディのように思えたからかもしれない。

 文語旧仮名遣いの短歌の独特の言い回しがわたしのような短歌の新人(年はとっているが)にも見覚えのあるものが多く、アララララ…と思ってしまった。

 しかしこんなことで憂鬱になっても、しかたない。。 

 ゆくゆくは口語の歌も作ってみたい、口語と文語をミックスした歌も作ってみたいと思っているので。もちろん、文語旧仮名遣いの歌はずっと詠っていくけれど、自分の生い立ちや日常と離れた言葉が多いのが気になっていた。あまりに新仮名遣いと離れている言葉はあえて使わないようにしていたが、東直子さんの文語旧仮名の歌はあえて新仮名とかけ離れていることばを選んで詠っているので、旧仮名文語が際立っているといえばいえる。

 明日は東京は盆の入り。例年だと花屋で百合を二本買い、庭の紫陽花その他とあわせて盆棚に手向けるのだが今年は鉄砲百合が咲いているので、その百合を手向けることに。 

 夕方庭に出て紫陽花を数本切った。百合は明日の朝切ることにしよう。

 

細き茎の草おしなべて川面へと倒れ街川は身をすぼめてゐる

 

 

 

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今日庭で採った茗荷