晴れて青空がきれいな日。陽射しはたっぷり注ぐが風は冷たい。
午後になり庭の写真を撮ろうかと思い、デジカメに充電したバッテリーを入れて日時などの設定をしたがこれっきり使えなくなった。最近、バッテリーがすぐなくなり、充電回数が増えてきたので寿命が近づいたと思っていたが・・・・・。
7年前くらいからレンズのふたがときどき半開きになるので手で押し開けていた。良くここまで持ってくれたなと思う。バッテリーを変える手もあるだろうが、もうこのデジカメにはお疲れさまと言ってあげたい。
ここまで引っ張って使ったのは、柴犬レオの写真を撮るためにこのデジカメを使い始め、その時はまだ元気だった父母の思い出もこのカメラに込められているように感じたからだ。
すぐさまインターネットでデジカメの機種や性能、価格を調べ、このあたりだなというカメラを2種類見つけた。比較的近いのでよく行くヤマダ電機に電話をするとそのうちの一機種は店頭にあることを確認した。
車で今日のうちに買いに行こうかと思ったが一呼吸おくことにした。
あっけなく使えなくなったカメラを見たり触ったりすると使っていた時とは違うもののように感じた。
このカメラを通してわたしはたくさんのものを見た。柴犬レオと老犬ももこは特に愛情をこめて見た。たくさんの映像を残した。わたしの思いがこのカメラに宿っているような気もする。
地に落ちし白蓮の花掃きよせる箒の音がかすか聞こへる
まだ芽吹かぬ柿の木からはたつぷりと光が通り縁は常春