昔の日記を読んでみた

 早朝、まだ暗い時間に雨戸を開けるとわたしの吐いた息が白くなった。東の空に金星が見えた。
 夏ならばこの時間の外は明るいのだが、一年でいちばん日の短い12月らしい朝だった。
 午後は車に乗り、いつものスーパーマーケットに行き買い物をした。ついでに乾物店に寄り、北海道産の黒豆と全粒粉の小麦粉を買った。黒豆はお正月用。ひさしぶりに煮ることにした。全粒粉の小麦粉はパンケーキを作りたく買った。
 家に帰り、5〜6年前の日記を書いたノートを押し入れから取り出した。インターネットで検索し、特に気に入った料理などのレシピも手書きで残してある。
 黒豆の煮方もパンケーキの作り方も記してあった。黒豆の煮豆は柴犬レオがこの家にいた頃、何度も作った。パンケーキは栗原はるみさんのレシピで老犬ももこがいた頃、朝食によく作り、ももこにも少しだけあげた。あの頃はふつうの小麦粉で作ったが健康のことを考えて全粒粉を選んだ。
 レシピを見ているうちに日記にも目がとまった。レオがいた頃、へたくそな俳句や短歌もどきをときどき作っていたようだ。レオが死んでからは明治神宮歌会に通うようになり、短歌になる前のメモのようなものがたくさん残されている。
 そのメモのなかにあの時は短歌に出来なかったが今ならできそうなものがいくつか見つかった。こんな見方、感じ方をしていたのかと自分のことながら新鮮に思うものや、メモ書きからあの時の感覚がよみがえるものもあり、過去の自分と向き合う楽しさがあった。
 日記は毎日書いているわけではないが、レオや父母の夢を見たことがかなり記してある。今も覚えてゐる夢もあるし、こんな夢見たのかと驚くような夢もある。
 わたしはほんとうにレオのことが大好きだったのだと日記を読んで思った。自分の命とおなじくらい。そんなレオを失った自分を哀れんだがこうして何とか生きているのが人間の不思議。
 レオを失ったばかりの時の悲しさは今も胸の奥にあるが、忘れるようにして生きてきたのでこれからもそうするしかないか。


 まだ暗き朝の雨戸を開けたれば吐く息白し金星光る

 硝子戸をへだて鳥らが来て去るを眺めて午後のひととき過ぎぬ

 木槿の木二本の枝を剪り今年の庭仕事これで納めとしたり