妙に寂しい一日

 なんとなくだが調子が悪いようで、夜寝る前に腕や脚などがかゆくなる。数日前からのことだ。
 最初は食べものが原因かと思った。鰯の生姜煮(レトルトでいただいたもの)を食べた後に入浴し、腕と脚がかゆくなったからだ。
 食べものも一因かもしれないが疲れがたまりアレルギーを起こしやすくなっていることも考えられる。母が亡くなった後、柴犬レオが死んだ後など、体じゅうがかゆくなり、皮膚科に通ったことがある。そのときは抗ヒスタミン剤か何かを処方してもらい、かきむしったところはステロイドを塗った。
 心身の疲れが原因だったのだろう。今回はそれほどの心身を疲労させる原因はないので症状も軽く、少し気になる程度。だがこのくらいだからと油断はせずにしばらく休養を意識しよう。
 体の不調も一因となり今日はなんとなく寂しさがしみるような一日。
 朝、目高の餌やりに庭に出たとき、家の前の道路で柴犬レオと老犬ももこがじゃれ合って遊んでいるまぼろしを見た。仲良しなんだとこころがあたたかくなったがこのことがずっと後を引いたようにも思う。あたたかさを感じた反面のいないという寂しさが後に残ったから。
 人のこころは不思議なもので、レオがなくなり5年あまり、ももこがいなくなり2年あまりが立ち、その悲しみは薄れていいはずなのだがかえって強まることがあるようだ。
 午後は昨日買ってきた葉鶏頭とコスモスを花壇に植え付けた。毎年のようにこの時期になると植える植物だが今年は植える場所が例年と違い、そのこともこころにずっしりと響いた。同じようにしているつもりでも毎年毎年何かが変わってくる。
 わたしにしては珍しく連続テレビ小説を見ているのだが9月末にドラマが終わることも気持ちを沈ませる。連続テレビ小説を毎日欠かさず見るなんて生まれて初めてかもしれない。最初で最後かも。朝はいつも忙しく、テレビの前に同じ朝の時間に15分も座っていることができなかった。特に犬がいるときは。
 友だちのことも心に引っかかることがあって、心配というほどではないがやはり心配。
 どこか寂しい一日の終わりをビールでも飲んで気持ちを切り替えようか。

近くの川は川底にたまった泥をさらう工事をしている
川辺の半夏生がどうにかならないかとこれも心配なり

この水瓶で飼っていた親の目高は5匹全部が死んでしまい、
いまは子メダカを10匹ここに移した。
目高を襲う蛇がいるので(この夏は庭でいちども見ていないが)
網をかぶせて防御している