夕方近く仮眠をとった

 雲が多い天気だがときどき日が射した。気温は上がらず過ごしやすい。
 昨夜はいつも通りの時間に眠りについたが夜中から未明にかけて2回ほど目を覚ました。すぐまた眠りについたが起きたのは7時半ごろで、枕もとの時計を見て寝過ごしたことにびっくりした。9時間くらい寝床にいたことになる。
 二度目を覚ましたとはいえ、すぐ眠れたのでかなり睡眠をとったと思うが朝起きた後もなんとなくからだが重い。
 数日前の雨で庭の鉢植えや花壇の水やりはしなくてもよく、午前中は庭にも出ないで家にいた。読み続けている大口玲子の歌集「ひたかみ」を読み終えることができた。割合と重たい歌が多く、その重たさがこちらに伝わってきそう。わたし自身が疲れているので、マイナーな気持ちが増幅する感じがした。歌人の夫が子犬を拾ってきて家で飼うことになり、その子犬の歌がいくつも出てきてそのことも気を滅入らせた。犬は人間にとってなんなんだろう。この歌人にとっては人間の都合で犬がいるような気がして。
 だがこの歌人が嫌いなのではない。いい歌魅かれる歌がたくさんある。歌人が結婚後住んだ街が女川原発から20kmほどの距離にあり、この原発を夫とともに訪れ詠んだ歌もある。広島と長崎に落とされた原爆について詠った歌は共感できる。わたしもずっと同じように感じ考えていた。かなりの数の原爆の歌を詠っているがこれは体力も気力もないと詠めない。原爆の歌は逆年で構成されている。年を遡るように歌が構成されている。ラジウムを発見したキューリー夫人や原爆をこの世に出現させたアインシュタインの歌もある。
 午後になり昼食後眠くてたまらなくなった。和室に布団を敷きごろんとなるといつの間にか眠った。1時間半ほどか。
 起きてちょっと離れたところにあるスーパーマーケットまで歩いて買い物に行った。
 行きも帰りも柴犬レオや老犬ももこのことを思った。散歩コースと重なっている道を歩くので。昨年8月のももこを思い出すと胸が苦しくなることがある。ももこの病気を電話で獣医師に相談したり、ももこを車で連れていき別の動物病院で相談したり、東洋医学の獣医師に家に来てもらたり、往診専門の獣医師を頼んだり・・・・・・。いろいろなことをももこのために病気のためにしたつもりだったが結局どれも、ももこのためにはなっていなかったという無力感が今も続いている。なにもしないままももこを見守り世話をするだけということはできなかった。なんにもならなくてもなにかをしたかったからしたのかもしれない。
 柴犬レオは反対に晩年の1年近くは動物病院にほとんど行かなかった。最期の日には行ったが。


愛犬の骨壺ふたつ父母の位牌ときにはわがこころに重し

鳴き続く油蝉わが耳鳴りと重なりどっちがどっちかわからず

犬をりし頃の若木がうっそうとなりすべてのものに歳月流る