午後は車で図書館へ

 
 今朝は朝寝坊をした。といっても6時過ぎに起きた。ここしばらく5時頃起きていたのでたっぷり眠った気持ちになれた。
 犬友だちは愛犬を検査に連れていくのでメールで朝の様子をたずねると電話がかかってきた。飼い主も犬も元気とのこと。犬の血液検査は午前早い時間に終わり、検査結果は大きな変化はなく薬の量も変えずに様子を見るという電話がまたあった。友だち自身も病気を抱えているが治していこうという意欲が電話から伝わってきてよかったと思った。たぶん、愛犬の調子がよく検査結果が良好だったので自身のことも前向きになれたのだろう。わたしも微力ではあるが友だちやその愛犬のためにできることがあればなんでもやってあげたい。
 今日は散歩もせずにほとんど家で過ごしたが、図書館から借りている短歌のアンソロジーをぱらぱらとめくっている時、気になる歌人と出会い、その歌集を読みたくなった。いつも行く図書館に読みたい本がたまたまあったので、貸出期間を過ぎて借りていた本を返すためもあり図書館に車ででかけた。
 借りていた本は2週間以上返すのが遅くなったが今回に限り返済の催促の電話がなかった。こういうことはしたくないのだがつい返すのが遅くなるのは手元に置いていたい本が多いからだ。7冊借りていた本を2冊だけ返して後の5冊は再度借りた。さらに一冊歌集を借りた。小中英之という方の『過客』という歌集である。なんでこの歌人の歌集を読みたいと思ったかというと、ネットで椿の花を詠んだ歌が二首ほど紹介されていて、その歌に感じるものがあったからだ。わたしもこの春、椿の歌を何首も詠んだがそのうちの1首は椿の花にももこの死をかさねあわせた。この方の歌も同じようなところがあり共感した。
 若い頃から病弱な方で詠う歌にも死生観が色濃く映し出されているのだろうか。まだ歌集を読み始めたばかりなので、先入観を持ってはいけない。静かな平らな気持ちでこの方の歌を読んでみたい。

 いつも空(くう)があるわが指先さしのべど愛する人も犬も立ち去りて

 つくづくと思へばわが身を守る傘なきに等しきひと世でありたり

 ここまでの道よくぞ歩みてきたと今は思へリいつまで続く

 さいさいと若葉ひろげる庭の木とわれは無縁来し方かへりみる

 赤のポピー孤立無援の花のごとく白と青の花壇に立てり