家にいて短歌を読んだり作ったり

 昨日より気温は低く過ごしやすい一日だった。午前中は掘り炬燵のヒーターを入れた時間があったが、ほとんど暖房なしですんだ。

 朝から髪の生え際や口元、目元など顔の一部に赤い斑点が出たので、あまり調子がよくないと感じた。

 それでもNHKプラスを利用して、ふたつのテレビ体操をやった。計15分ほどである。

 これ以外は植木鉢の水やりとめだかの餌やりとデジカメで写真を撮る以外は外に出なかった、外といっても庭に出ただけだ。

 居間でパソコンに向かってインターネットで短歌を読んだ。今週の水曜日に受けた講座の講師をつとめた歌人の睦月都さんの短歌である。橄欖追放というサイトで、睦月さんの最初の歌集を紹介していたのを読んだ。『Dance with the invisibles』という歌集である。

 この文章を読んで実際の歌集を読みたくなった。読んでみたい歌集が多くなって、どうやって手に入れるか、図書館で読むかなど、読むための方法を考えている。あまり家に本を置きたくない気持ちがあり、できれば図書館で読みたいのだが、、、

 水害に見舞われ、水をふくんだもろもろの物を捨てたとき、身辺にあまりたくさんのものを置かないようにしようと思ったのである。洋服も捨てながら買っている。

 短歌に関する文章を読むだけでなく、季刊の短歌誌に向けて10首の短歌をどれにするか、あれこれ悩んだ。奈良の旅をテーマにする場合、どのような短歌を選んで構成すればいいのか。旅を詠む短歌は難しい。見る景色はいつもの日常とは違うが、それをあてにしすぎるとつまらない短歌ができてしまう。かえって日常を詠う方がうまくいくところもある。

 いちおう10首をまとめたがまだまだ考えなければいけないところがいっぱいある。

 昨日は友だちと会ったわけではないが、友だちへの連絡、友だちからの連絡が集中した日で、思い返してみるとわたしの友だちの8割くらいの人とやり取りしたり、届け物が来たりした。友だちといえる人はそんなに多くない、知人ならそれより格段に多いが。

 昨日やりとりした友だちから朝、電話があったが声が風邪声で元気がなくて驚くと同時に心配になった。二日間に仕事を休み、昨日から仕事に戻ったという。電話の声を聞くとまだ仕事ができるような状態ではないように思えた。

 この友だちとラインも何回かやりとりした。こんなときに手を貸してくれてありがたいけど申し訳ない気持ちもある。

 

紅梅の木の根もとに姫うつぎの花が咲き始めた

花壇の一画では白い花と黄緑の葉の対比がきれい

花壇の全体はこんな感じ

オオムラサキツツジが満開

コデマリの白い小さな花が群れてきれい

白い花の都忘れ、濃い紫の花もあるがこの庭にはない

八重の山吹とオオムラサキツツジのつぼみ(花色が違うと咲く速度も違うらしい)

赤いツツジとこれから咲くオオムラサキツツジ

柿若葉がきれい

 

家でのんびりしつつ、メールやライン、電話でやりとり

 午前中は陽ざしがたっぷりだが、気温が上がらず過ごしやすかった。午後からは雲が多くなり、天気が崩れそうな空模様だ。

 午前中は昨日、季刊誌を送った友だちにメールで来週届くことを伝え、昨夜の講座に家庭の事情で来れなかった人にメールを送った。

 月曜にラインを送り、返信がなかった友だちかラインが入り、体調を崩していたと伝えてきた。この友だちは4月のはじめに家に来てくれて奈良の旅のことなど話したが、三月は忙しくて三日間しか休みととれなかったと言っていた。仕事は嫌いでないので仕事漬けでも嫌ではないがからだは疲れると言っていた。やはり体調を崩したのかと思い、案じていることを伝えた。この友だちとは電話でも少し話した。

 別の友だちからは宅急便が来たが不在票が入っていたのでドライバーに電話をして再配達してもらった。毎年、今頃になるとオリーブオイルを送ってくれる。受け取ってすぐ届いたこととお礼を伝えるメールを送った。

 午後からはエアコンの業者が来て、今使っているエアコンの部品交換をした。昨月、家に来てもらい、その時は修理は必要なかったがエアコンの中を見て錆が出ているところがあり、交換したのである。保証期間中なので、部品や出張費、工事費は無料だった。今年の12月に保証期間が切れるので、ちょうどいいタイミングだった。

 業者さんが帰り(2時間半ぐらいかかった)、ほっとしたと同時に昨日の外出の疲れが出てきた。といっても昼寝はせずに家でぐだぐだ過ごした。

 夕方には別の友だちからラインがあり、しばらくやりとりをした。

 もう一人、浜松の友だちから気が向いたら花博を見に来ませんかラインが来た。花博に妹さんたちと行った写真が添付されていた。

 友だちからラインがあったり、こちらからメールを送ったり、電話で話したり、家にいながらいろいろが交流があった一日だった。

阿木津英『天の鴉片』の講義を聞く

 ところにより雨の予報、日中は降らなかった。夜も降らないことを祈る気持ちだ。折り畳み傘を持って来なかった。

 夜6時から8時の講座を聞きに行った。現代歌人協会主催の公開講座である。月に一回、6ヶ月にわたり行われる。

 今夜は初回で阿木津英さんの歌集を講義する。現代歌人協会賞を受賞した『天の鴉片』(てんのあへん)という歌集だ。

 講師は歌人の睦月都さん。作者の阿木津英さんとの対談もある。

 講座は盛況で、主催者が用意した資料が足りなくなり、追加のコピーをしたほどだ。

 睦月都さんの講義もおもしろかつたが、いちばんひきつけられたのは阿木津英さんの話である。熱はのある言葉に魅せられた。

 満席の参加者は誰もが満足したのではないだろうか。 

 女歌ということばや概念をわたしは好きでなかったが、この言葉で表したいことが阿木津さんの話でより明確になった。これだけでも大きな収穫である。

 聴覚に自信がないので、1番前の席に座ったが、隣に阿木津さんが座られた。

 

 

 

夕方からの短い散歩

 晴れ渡る空が気持ちいい。ほぼ一日エアコンも炬燵もなしで過ごせた。

 郵便がらみのアクシデントがあり、熊本から送ってきた季刊の短歌誌「しらぬ火」もトラブル含みだった。

 友だちに昨日送ったラインの返事が来ない。これも気になる。

 とはいっても気持ちを重くするほどのことではない。

 郵便がらみのアクシデントとは、昨日武蔵小杉の歌会のみなさんに送った封書のうち、一通が戻ってきたことだ。封筒を見ると切手が貼っていないではないか!歌会に送る封筒は各自宛名を自分で書き、切手も貼っておくがルールである。送り手の負担を軽くするためだ。この人は切手を貼るのを忘れ、さらにわたしも切手が貼っていないことに気づかなかった。機械的に封筒に資料を入れ、機械的に封を閉じ、機械的に投函したみたいな感じで、封筒そのものに目をやらなかったようだ。

 今日送られてきた季刊の短歌誌は、年会費を振り込むように依頼する紙が同封されていて、わたしは愕然とした。昨年12月に今年の年会費を支払った記憶があるからだ。振込用紙を使い、ゆうちょ銀行で現金で支払ったためか、通帳に記載がない。領収書があるはずと探すがなくて、近くの郵便局に行って聞くとどのような形態の領収書であるかがわかった。再度家で探すと見つかった。

 これをもとに熊本に電話をすると、あっけらかんとあれは全員に同封したとのこと。わたしが支払っているのは承知しているので大丈夫とのことだ。やれやれ、それなら支払い済のひとには断り書きを一言そえればいいではないか。

 こちらがあたふたした分、先方への不満が残った。

 友だちからラインの返事はとうとう来ない。

 こんな日もときにあると思うようにしよう。

 季刊の短歌誌はどこかのタイミングでやめることがあるだろうと考えていた。次に参加する場が見つかったタイミングかもしれない。

 妙に落ち着かない一日だったが、季刊の短歌誌に送る短歌10首を考えた。今回はどのように構成するか。奈良の旅を詠うか、それとも思い切った表現を試みるか、余裕があれば2案作ってもいいのだが、、、

 夕方になり、近所の店に買い物に行き、その帰り短い散歩をした。夕空がきれいな時刻だ、まだ月は出ない。

 有名な私立女学校のほうに歩みを進めると、桜がきれいだった。ソメイヨシノではなく、山桜や八重桜だ。ツツジや藤の花も咲いている。学園の庭は花がたくさん咲いていて季節の移ろいと共に目を楽しませてくれる。

 






 

歌会の資料と献詠歌、どちらも投函した

 新緑のきれいな季節がめぐってきた。花も種類を変えて咲いている。わが家の庭ではツツジが咲き始めた。姫りんごはまだ満開である。桜や柿の木の芽吹きがきれいだ。

 靖国神社に送る献詠歌の締め切りは4月20日だったが、15日と勘違いしていた。勘違いのままに昨日速達で送るつもりだったのがその前に募集要項を読んで送らずにすんだ。

 たった一日しかたっていないが、なにかがあったかのように短歌に対する視線が少し変わった。自分が作った短歌により鋭い視点を持つようになったというか、こんなのではつまらないと思う気持ちが強まった。

 武蔵小杉の歌会に送る3首の短歌に手を入れた。すうーと短歌が流れ過ぎていて、読む人の気持ちに刺さったり、沁みたり、ふっとおかしみを感じたりがないと思ったからだ。手直しして、沁みる短歌、おかしみのある短歌ができたかはわからないが少しだけアップグレードしたと思う。

 靖国神社のほうはかなりいじくりまわして、結局、最初に詠んだ短歌に落ち着いた。これも自分ですごくいいと思うわけではないが、比べてみれはいいという感じだ。

 午後になり、武蔵小杉の資料は6つの封筒で6人へ、靖国神社へは速達でなく普通郵便で、投函した。

 やり終えたためか、目の疲れを特に感じて、蒸しタオルを目にあてた。広縁に座布団を2枚敷いて、ごろんと横になり、目を瞑ったり、ときどき開けて樟や紫陽花、柿の木などの新緑に目をやった。緑色は目の疲れにいいとどこかで聞いたからだ。

 

柿の木だけを撮ろうとすると縦長の構図になる

ぎぼうしの若葉

赤いツツジが今年は咲いている

オオムラサキツツジも咲き進む

こんな色のツツジもあり、父が挿し木を増やしたもの

楓の新緑

 

締切を勘違い、15日が20日へ

 おだやかな晴天の日曜日。いまのところのんびりと過ごしている。明日15日必着とお思っていたある神社の献詠歌だが、昨日、募集要項を見直したら20日であることがわかった。

 今日、速達で送ろうと準備していたがまだよゆうがあることがわかったので、さらに考えることにした。

 朝のテレビ番組で、鹿児島県の南端にある都井岬岬馬を管理している若い女性の姿を追っていた。この岬には50年ほど前訪れたことがある。大分のほうから南下する列車に乗り、早朝の車窓から宮崎県の海岸をぼんやりと眺めたことを覚えている。まだ若かったので、午前中早い時間に着く列車に乗ったのだろう。

 都井岬の野生馬に会いたくて訪れたのだが、馬の記憶はあまりなくて、日差しが強くて日焼けを心配したことはおぼえている。

 あれからずっと岬馬は命をつないで都井岬に生きていたのだと思うと感無量である。同じようにわたしも生きて来たのだが。

 昨夜は寝付いた後、目が覚めて手のひらがかゆくてたまらくなった。赤く腫れているようだ。起きて手につける軟膏を塗った。ステロイド入りのものだ。そんなに赤みや痒みがひどくないときはなるべく塗らないようにしているが、昨夜は塗るべきと思った。朝起きてからは相変わらず赤いがかゆみはおさまっている。

 今日は月二回の武蔵小杉の歌会の資料(参加者の短歌をワードでまとめたもの)の誤字脱字をチェックして印刷し、できれはコピーをとってみなさんに発送したい。

 パドレスドジャースの試合は雨で開始が遅れていて、日本時間で午後0時25分でに試合開始予定のようだ。試合が行われないときに、大谷選手や松井選手、イチロー選手の過去の映像をオンエアしている。どのような熱狂も一瞬のものでいつか過去になるみたいな、深い思いがわいてくる。2019年、イチロー選手は引退した。わたしは大谷選手が引退するまで見ていられるだろうか。

 

今日の花壇、チューリップは花の盛りを過ぎているが陽ざしをあびてきれい

矢車草が咲き始めた

姫りんごの花は満開

オオムラサキの花も咲き始めた

コデマリの花

 

友だちと最寄り駅までランチ

 朝方は曇り空で雨が降りそうな雰囲気。ぽつりぽつりはあったが、よもや降らないだろうと思ったのにお昼前から降り出した。

 午前中、友だちからラインがあり、急なランチのお誘いがあった。わたしは実はやや疲れを感じていたし、15日必着の短歌があり、あせりもあったのだが気分転換したい気分もあり、誘いに乗った。

 ぽつりぽつりの雨が本格的に降りだしたころ、傘をさして最寄り駅前まで歩いた。駅前のカジュアルレストランで会うことになった。

 友だちは先に来て席を取ってくれていた。といっても店は空いていた。窓辺の大きなテーブル席の角にふたりで座った。11時半でランチには少し早めだったので、しばらくおしゃべり。水原一平の事件のことを話した。友だちは水原氏がすごいストレスを抱えていたのではないかと、という。そのことがギャンブルの深みにはまる結果になったと。超リッチな人が身近にいると、しかも飛びぬけた才能がある人がそばにいると、その人がどれほど人間的に優れた人でも、そばにいる人はなんらかの強い圧迫を感じるのかもしれない。遁れたくても遁れらない辛さを抱えていたのか。

 ランチプレート(ハンバーグとサラダ、バゲット)を注文した。広い窓から駅前の風景を眺めながら。雨脚は衰えない。まだ花が残っている桜の木が見える。

 友だちは午後から自宅に生徒さんが来てピアノを教えるので、そんなにはゆっくりできない。それでもコーヒーを飲んで、いろいろ話した。わたしが昨日、国会図書館に行って読んだ歌集のことも話した。デジタルで本を読むと字の大きさを変えられるのでいいという事も話した。

 店を出る時間になるころ、雨が止んで陽ざしが出ていた。さきほどの雨はいったいなんだったのだろう。

 友だちからビアリーというアルコール度数1パーセントの飲料をもらった。8缶ほどあるので重たいがありがたくいただいた。